立川警察官ストーカー殺人事件
事件概要

2007年8月21日午前10時頃、東京都国分寺市のアパートで、警視庁立川署地域課の友野秀和巡査長(当時40歳)と、アパートに住み飲食店従業員 佐藤陽子さん(当時32歳)が拳銃で胸などを撃たれ死亡しているのが発見された。

殺害された飲食店従業員 佐藤陽子さん(当時32歳)

 

拳銃は警視庁より貸与されたものだった。
警視庁によると、友野は手に拳銃を持っており、左胸に銃弾が1発命中して仰向けに倒れていた。
佐藤さんは腹と胸を2箇所撃たれていた。
状況からみて、友野が向かい合って床に座っていた佐藤さんを撃った後、自殺したとみられる。
室内は整然としており、玄関ドアは施錠されていなかった。

犯行後、自殺した立川署富士見台交番勤務の友野秀和巡査長(当時40歳)

 

友野は20日午後3時半頃から、同僚とともに交番勤務に就き、午後9時半頃「ホームレスが寝込んでいる。」と通報を受け、バイクで一人出動したまま連絡も取れず、朝になっても戻らなかった。
立川署は21日午前5時頃から行方を探し始め、同僚が立川署内の友野のロッカーから佐藤さんの勤務先の名刺を発見し、友野の携帯電話の位置情報から、佐藤さんのアパート付近にいる事を突き止め、立川署の上司がアパートに行くと、6畳間で2人が死亡していた。
佐藤さんのアパートの大家の話では、20日午後9時半〜10時の間に、銃声のような音を4回聞いていた。
アパート外にバイクが止められたままで、捜査本部は友野が苦情処理に行かず、交番から約3km離れたアパートに直行したと見られる。
友野は佐藤さんの勤める立川市内のキャバレーにに入り浸り度々指名し、ストーカー行為を行っていた。
佐藤さんは週に2〜3回出動しており、友野はその日に合わせて週に1〜2回通っていた。

犯行が行われた東京都国分寺市の佐藤さん宅のアパート

 

 

 

背景

友野は約3年程前に同僚に連れられ、立川市内のキャバレーに行くようになる。
佐藤さんは約1年前から同キャバレーで働くようになり、週に2〜3回のペースで出動していた。
その頃、友野はキャバレーの常連になっており、キャバレーで働く女性からは、オタクっぽい雰囲気の人として有名だった。
佐藤さんが働く以前に好意を持った女性に、ストーカーまがいのことをして、女性からは嫌われていたそうだ。
友野はキャバレーで働く佐藤さんに好意を持ち、佐藤さんを指名するようになり、店の閉店後に2人で食事に行く姿を確認されているが、佐藤さんにしてみれば業務の一環としての行動だ。
佐藤さんも当初は、大切な客として親密さを伺える内容のメールを送っていた。
ところが2007年5月頃、佐藤さんは行きつけの国分寺市にある飲食店を訪れ、
「客の警察官に付きまとわれて困ってる。」
「1日何十件も着信がある。」
「家の前に24時間張っていたりする。」
「旅行帰りに空港で待ち伏せされた。」と、友野のストーカー行為を相談していたが、「でもお客さんだからなぁ」と悩んでいる様子だった。
その他、友野の同僚がキャバレーを訪れた際に、ストーカー行為で困っている事を相談し、同僚も知っている人だから注意しておくと返答するが、同僚は注意していなかった。
友野は佐藤さんの行きつけの飲食店に私服姿で訪れ、名前を名乗り警察官である事も明かし、その上で店長に「佐藤さん知ってる?」と質問し、
「あいつの店のナンバーワン。これまで300万はつぎ込んだ。」と話し人格を聞こうとする。
また「佐藤さんを好きになってしまった。好きになった自分に困っている。」とも漏らしていた。
友野は、店長が自分から名乗っていないのに名前を知っていたといい、事前に佐藤さんの交友関係を調べていたようだ。
実際に友野は調査会社に依頼し、佐藤さんの事を調べていた。
佐藤さんは6月に、宮城県に住む両親に電話をかけ、「飲み会で知り合った立川署の40歳の警官に付きまとわれて迷惑だ。」と相談している。
また当時交際していた男性にも相談しており、男性は「店を辞めた方がいい」て助言している。
事件の1ヶ月前から佐藤さん宅付近で、友野が朝から晩まで立っている姿が目撃されている。
3日続けていた事もあったそうだ。
佐藤さんはエスカレートする友野のストーカー行為に対して、自宅玄関の鍵を替えている。
佐藤さんは友野からのストーカー行為に対し、9月15日でキャバレーを辞める事にする。
その日には友野も同僚とお店を訪れ、同僚の話では2人は交際してると思っていたと話すが、一方で別の同僚は、佐藤さんが困ってる様にも感じていた。
翌日16日から佐藤さんは、故郷の宮城県に帰省し事件の起きる20日に帰宅する。
友野は以前から佐藤さんとメールのやり取りをしていたが、事件当日にも数通のやり取りを行なっていて、佐藤さんから「もう付き合えない。」
「今日は話をしたくない。」といった趣旨の文面があり、「放っておいて」とも書かれてた。
さらに「ごめん訴える。指紋取ればわかるよね」と書かれたメールもあった。
佐藤さんは友野の後輩警官に、空き巣について尋ねていたといい、佐藤さんは友野の住居侵入を疑っていた。
実際に佐藤さん宅の窓のクレッセント錠近くに、直径4cmほどの穴が空き、ガムテープで塞がれていた。
このやり取りがきっかけで、佐藤さんの口封じをする為に事件を起こしたとの見解もある。
事件当日、友野は午後3時から国立市富士見台の交番勤務に就き、午後9時半頃に「ホームレスが寝込んでいる。」との苦情を受け、バイクに乗り交番を出る。
しかし苦情の現場には行かず、国分寺市の佐藤さん宅を訪れ、佐藤さんを拳銃で殺害し自分も同じ拳銃で自殺する。
翌日午前5時頃、連絡も取れず交番に戻ってこない友野を、立川署と捜査一課が別々に行方を探す。
すると同僚が友野のロッカーにあるズボンの定期入れの中から佐藤さんの働くお店の名刺が見つかる。
捜査一課は、友野の携帯電話の位置情報を調べ、佐藤さん宅の付近にいる事がわかる。
そして立川署地域課の上司が向かうと、佐藤さん宅のアパートの前に、友野が交番より乗り出したバイクが止めてある。
上司が1階の佐藤さんの部屋に入ると、2人はすでに死亡していた。
佐藤さんの衣服には、乱れた後はなく室内にももみ合った形跡もなかった。
友野の制服のポケットには、立川署のロッカーの鍵のほか、バイクの鍵と佐藤さん宅の鍵も入っていた。
この鍵は鍵交換の際に渡された、スペアキーであることが、その後の調べでわかったが、友野が佐藤さん宅に侵入して盗んだかはわかっていない。
立川署は当初、無理心中として捜査していたが、捜査を進めていく過程で、ストーカーによる殺人事件と判明した。

 

 

 

▪警察の不祥事について
警視庁は、自殺した友野の両親に対し死亡退職扱いの退職金1200万円が支払われる事になったが、両親は受け取りを拒否した。
この事について警視庁本部や立川署に126件の苦情の電話が入っている。
佐藤さんが友野のストーカー被害を同僚の警官に相談した件で、相談を受けた警官が確認できなかった。
交番勤務の同僚らは、友野に誘われて管轄外までパトカーでドライブしていたなどの、内規違反を繰り返していた。
急激に痩せ辞意を漏らしていた友野の危険信号を、上司は深刻に受け止めておらず、立川署の管理態勢にあまさがあった。
友野の勤務する立川署富士見台交番では、上旬に無断で勤務計画を変えるなど内規違反が常態化していた。